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先生インタビュー

押し花教室 佐々木先生にお話を伺いました

3月11日の震災で被災され、現在は仮設住宅で生活されている佐々木政子さん。 月2回程度、南三陸の被災された住民の方々を対象に、ボランティアで押し花教室を開いています。

生活の半分以上が押し花だったという佐々木先生。地震の起きた3月11日も押し花で作品作りの真っ最中だったそうです。他の南三陸町の多くの家と同じく津波で家が流され、現在でも娘さんの旦那さんの行方がわからないままだといいます。 今は仮設住宅に暮らしている先生に、押し花教室をされている理由を伺いました。


被災されてから教室を開くまで

先生「最初の3か月は、自分の家族や孫たちのための食事のことやなんかで、自分のことは考える余裕はなかったのですが、だんだん自分の心の支えになるものが欲しいと思うようになりました。
5月ごろだったでしょうか、娘がお世話になっているうちの庭で、花の咲いているのをみて、いつもだったら押し花にするのに、このまま咲かせていいんだろうか、と思ったんです。」


「そんな時に、仮設住宅を対象に押し花教室をやりませんか、と声をかけてもらいました。 まだ娘の旦那も見つかっていなくて、こんなことをやっていいのかという気持ちもありました。だから娘に相談したんです。そうしたら、それくらいやってもいいんじゃない?って。 背中をおしてもらったんですね。 じゃあ私にできることを、と思って始めた押し花教室でした。
こんなときだからこそ、みんなにきれいな花に触れて、少しでも和らいでほしい。
きれいなものを眺めながら物を作っていく楽しさを、みんなにも覚えてもらいたいと思って、はじめました。」


亡き母が残してくれた『押し花』

佐々木先生が押し花を始めたきっかけは、ご自身のお母様の介護の体験だったそうです。 8年間、お母さまの介護を経験された佐々木先生。長い介護生活で、ストレスを抱えていたと振り返っていました。ある日、お母様と一緒に参加したイベント先で、やっていたのが押し花の展示会だったそうです。

先生「介護のストレスを抱えていた気持ちが、押し花に慰められたんですよね。 押し花がすきになって、自分で押し花教室を開くようになって、 気が付けば生活の半分以上が押し花になっていて。 (仮設のお宅のテレビを指して)あれくらいね、大きい大作も作っていたんです。 ホテル観洋(注:南三陸で一番大きなホテル。現在は避難所として使用されている。)のエントランスのところで2年間に1回くらい、自分の生徒さんと一緒に展示したりもしていたんですよ。
母の介護を通して、押し花とめぐりあえて、 今では、押し花が 亡くなった母が残してくれた唯一の財産だと思っているんですね。 やってみてわかったことは、人のために、と思っていた教室だったんですが、自分のためだったんだということです。押し花を教えていると、生徒さんに『先生、生き生きしてる』って言われるんですよ。」
「自分が母の介護のストレスを押し花に癒してもらったように、 今回、自分も被災したけれど、きれいな押し花を見て、 触れることで少しでも皆さんの心の癒しになればと思っています。 震災後は、無償のボランティアということで教室を開くようになりましたが、 押し花が好きだという気持ちは変わらないです」

今後について

先生「ボランティア押し花教室を続けながら、いつかは以前のような教室を再開させたいと思っています。 まだどうなるかはわかりませんが、押し花を新たに始めたいと仰ってくださる方も出てきていて本当に嬉しいです。 ボランティアの教室ということで、あまり色々なものは作れないのですが、少しでも押し花の楽しさを味わっていただけたらと思っています。」

「公民館などでの展示会も出来たらと思っています。 大きな作品のテーマとかはまだ考えられないですが、一緒に押し花をやっていた友人が大きな額をプレゼントしてくれました。プレッシャーでもありますが(笑)、 それを作ることを励みにして、これからの押し花教室のことを考えていきたいと思っています。」

開催中の教室